ずっとサブカルにふれてたい中年オタクブログ

中年オタクが、映画やマンガ、ゲームなんかをレビューしてます。時間が無くてただクダを巻いてたりもします。平日は朝7時に記事が上がるようにしてます。よしなに。

【オジさん所感】「思う」という行為のあやふやさ

そろそろ大掃除に向けて準備したい中年m-zoです。

大がかりな掃除は年末くらいしかできないし。

今日は情報の受け取り方の話。

 

■情報を見てて

「こう思わせたい(伝えさせたい)んだろうなぁ」的な内容が見える時がある。

大人になったせいか。年を無駄に食って経験があるせいか。

人づてに情報が伝わる時にそのまま伝わることはない。

どこかに人の気持ちが入る。

不確定な部分を確定にしたり、類似の意見を不確定な部分として追加したりする。

伝言ゲームはそれを楽しむのだが、ニュースはダメですな。

ツイッターなんかはそれがスゴイ。

 

■こういうのを見てると

自分たちの「思った」は間違っているのではないか、と不安になる。

やってる人たちは「思わせた方が勝ち」と思っているのか。

それともその思いによる行動を引き寄せたいのか。

世論というやつを動かしたいんだろうな、くらいは思うが。

少し前は声を大きく出して動かすことができたからねぇ。政権交代までしたし。

 

■ただ

最近はこういうことをしてもすぐに裏が取られて

むしろ嘘を追加した人が叩かれる方向になっている。

先行逃げ切りができなくなっている。

みんなが無意識に情報の価値を認識している、浸透しているのは

見ていて面白い。

 

■これからの時代

膨大なデータが蓄積され、自身が忘れているような発言や行為が

調べられたら出てくる時代になっていくと思われる。

嘘や勢いだけでなんとかなる時代は終わりを迎えたんだろう。

が、全ての虚偽・虚構がなくなるわけではないので

自分の「思った」はほんとうに思ったことか、を

ちょっと立ち止まって考えなきゃいけない。

あぁ、なんて生きづらい。

 

■オマケ

まぁ、普通に正直に生きてればいいってことだろうけど

個人レベルにはきっとなかなか適用されないだろうから

気にし過ぎなんでしょうけどね。